今は人生の種まき中

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復職から2度目の休職に至った経緯

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初めての方も、何度目かの方も一瞬でもこの記事を

見に来て下さり有難う御座います。

 

今回は1回目の休職を終えて、復職した初日から2回目の休職に至った経緯を

書いていこうと思います。

内容的に本当にそんなことがあるか?といった出来事をつらつらと書いて

いきますので、気分が悪くなったりされたらすぐに閉じて下さい。

 

 

まず最初の出来事ですが、復職1日目からすぐに起こります。

復職初日というものは、経験したものにしか分からないと思いますが

非常に緊張もしつつ、不安が襲ってくるなか耐えて、挑まなければいけない

試練でもあります。

私はリワークプログラムに通って、復職初日の挨拶のロールプレイをしておりました。

(リワークプログラムではアサーションというプログラムでした)

朝礼の時は、自分でも震えているのも分かるし、のどがカラカラで言葉が

発せられるのか分からない状態で、なんとか挨拶が出来ました。

会社の雰囲気自体は変わらないけれども、どこかすごく気を使ってもらっている

のをヒシヒシと感じ、なんとか第一関門突破だという感じでホッとしましたのも

束の間、上司も交えて社長との3者面談が行われることになりました。

(社長は朝礼には出ない会社でした)

 

最初に何を言われたかあまり覚えておらず、覚えていることを書きます。

 

「まず仕事は3つのしごとがあって、1つ目は生活のための仕事、

 もう2つ目は志を持ってする志事、あとの3つ目はなにもしない死事だ」

 

「君は最初の仕事で、ただ単に淡々と仕事をこなしているだけの人間だ。

 それなのに仕事の量が多くて、こなすことで精いっぱいというのが原因で

 休職したというのは、単に仕事の効率が悪いだけではないのか?」

 

君はこの会社に中途入社で入ってきた。当然即戦力で採用している。

 当時私はこういうことが出来ますといったことが出来ていたか?」

 

職務経歴書に書いていることが、ウソであれば正直に今、ここで言え!」

 

と立て続けに言われ、正直頭がパニックになり、一言二言しか発せられなかった。

言いたいことだけ言って、社長は出ていき上司は

「社長はああいうタイプだから、気にしなくていい」

と言ってくれたが、復職してきた人間に対して言う言葉かよと正直思った。

異業種から中途で入社し、1~2週間も経たないうちにマニュアルもないちょっとの説

明だけで普通は工場長クラスがする生産管理や外注先との仕事などいきなり任され

連日13時間働いたり、寝泊まりして仕事をしてきた人間に対していうことか!

しかし、社長のパワハラはこれだけでは収まらなかった。

リハビリ出勤という形で徐々に仕事になれていくように、会社は配慮をしてくれたが

社外から電話がかかってくると女性の従業員の方が電話を出るというのが

以前より決まっているのに、社長は

「おい〇〇、電話に出ろよ!!」

と大きな声でののしられ、

「何ボーっとパソコン眺めてんだ!!」

とも言われたこともありました。

「あいつエクセルの画面を付けては消してしかしていない」

と直接ではない陰口を言われたこともありました。

あまりにも想定していなかったパワハラに、今でもよく出勤出来ていたなと思います。

 

大きな会社であれば、部署の移動で様子を見るといった処置とか取られると思うが

うちの会社は小さな会社だったので、元の部署でしか働けない状況でした。

とはいえ、仕事の量的には定時で帰られるように調整してもらっていたので

なんとか出勤出来ている状況でした。

それが三ヵ月ほど経ったころ、一つのプロジェクトを社長より任されることに

なり、ここでなんとか挽回をするぞという気持ちになり、精神状態も安定して

きていました。

このプロジェクトは本当になにもないところから全社員の意見をまとめて

マニュアル化して、ことが起こった際には実行するといったもので

コンサルティング会社の担当者と何度も打ち合わせをし、順調にいっていました。

体育会系の現場の人との打ち合わせは困難を極めましたが、なんとかマニュアルを

作成し、最終報告を社長の前で行いました。

コンサルタントの担当者は終わった後に、「大変だったでしょう」と言ってくれたが

社長からは何も反応が無し。どちらかというと自分の手柄のようにしていました。

でも私自身はこのプロジェクトにやりがいを感じ、非常に達成感を感じた。

精神的にも開放に向かっていたので、心療内科に通うのを自分の判断で辞めました。

理由は、診察してもらっても様子を聞くだけ、これといったアドバイスも無い

薬だけ処方する対応に嫌気をさしていたんだと思います。

ここは自分に落ち度があるといえばあるのかもしれないけれど、当時の精神状態は

やる気に満ち溢れていたし、薬を飲まなくても寝れていた。

薬漬けになるのが怖かったこともあり、薬を断った最初のほうは少し辛かったが

徐々になれて、このままで大丈夫だろうと楽観的でした。

(これに対して非があるというのなら批判を受け入れます)

 

また歯車がかみ合わなくなってきたのは、プロジェクトが終わってから

この仕事をやりたいと直談判をしても、なにかはぐらかされて少し暇な状態が

続くことになる。

そんな時ふと有給はいつ入るのだろうと思い、上司に聞いてみると就労状況を

満たしていないため、次の有給支給されるのは1年3ヶ月後になると言われた。

そこで就業規則を見てみると、年間の8割出勤していないと有給がつかないと

なっており、休職と復職のタイミングが悪く重なりそうなったと説明された。

この時点で有給は2日ほどしか残っておらず、病気になっても休めないじゃないかと

不安にもなり、会社への不満もたまってきた時期でした。

 

そんな中、小さな会社なので自分が別の部署に異動になるといううわさが

出ていると聞き、上司に相談をしたところ、あの部署は〇〇さんには向いてないから

断っていると言ってくれて一安心していたが、そのうわさはずっと残ることに。。

 

そのタイミングで診療内科の先生から会社に直接電話があり、何かと心配をかけてくれ

ていた別の上司に相談したいとの連絡があった。

これは通院していないことを言われると思い、正直に精神状態もよくなってきたので

自己判断で通院は辞めましたと伝えたところ、それだったら別に行かなくてもいいん

じゃないかという話になったが、先生がどうしてもと聞かなく、上司が行くことに。

その後からその上司は私のことを完全に無視をするようになった。

先生が何を話したかも言ってくれないし、挨拶をしても完全に無視。

確かにこちらにも先生に相談もせずに、通院するのをやめた落ち度はあるが

それを上司に言うかよという感じで、ある意味人間不信になってしまった。

 

それから間もなくして、直属の上司から

「他の部署に異動して欲しい」

と言われた。どこの部署かはまだ決定していないが

現場とだけ伝えられた。

自慢ではないが絶対肉体労働に向いている性格でもないし体力もない。

その後痛恨の一撃。

「ここの部署は〇〇さんが居なくても、なんとかやっていけるから」

ああ・・・これはもう俺を必要としていないんだなと思った。

実質のクビなんだなと。。

そこからもう吐き気が止まらなくなり、体が動かなくなり、食欲もなくなり

2日会社を休み、土日を挟めばよくなるだろうと思ったが、朝になるとやはり

同じ症状が出たので、これは完全に落ちたなと感じ、以前通っていたクリニックには

行かず、大きな病院へ行くことを決め、2度目の休職になりました。

 

 

 

ひたすらつらつらと書かせてもらいました。

もうここで吐き出して、過去に終止符を打とうと思います。

ただ単純に会社が合わなかったんだなと思います。

今の先生はすぐに適応障害だと見抜き、診断書をいくらでも書いてあげるから

回復したら転職活動をしたほうがいいと言ってくれました。

そんなひどい会社は、労基署に行って訴えたほうがいいとも言ってくれました。

ただ今はもう過去には執着せず、今を生きていこうと思っています。

 

今後は、今回の経験を基にした傷病手当についてや就労規則を確認する必要性など

あとで後悔をしないよう気をつけるべき内容の記事を書いていこうと考えてます。

 

この記事が今本当に同じように苦しんでいる方にも読んでいただき、何かを踏み出す

一歩に繋がってもらえれば幸いです。

 

最後までお読みいただき有難う御座いました!